Categories 唯識 心に区切りをつける by 遠藤優子2023年9月19日2023年9月19日 最近、このようなことを思っていました。4コマ漫画のように見ていただけると幸いです。 仏教の用語の放下著(ほうげじゃく)には「捨てろ」という意味があります。捨てるのは、自我だったり、執着だったり、さまざまです。身近にいうとお掃除の断捨離が近いかもしれません。確かに。私たちは持ちたくない感情や記憶を捨てようとすることがあります。そう、このイラストのように、ビニール袋に詰め込んで、ゴミに出すような… 捨てると、とっっってもスッキリしますやった〜!乗り越えた〜!とかもう大丈夫〜!とか自己肯定感がアップして自信満々な感じ♪うふふ、私は何でもできちゃうわ♡みたいな。ところがそれは長続きしません。長続きしなかったときのがっかり感は皆さんも経験済み!ですよね・・・ なんでそうなるかっていうと単純に「捨てきれてなかったから」かと思います。どんな嫌な、思い出したくない、サイテーなことでもなかったことにはできないのが私たちの心の仕組みです。私たちはいつもさまざまな想念たちと共に成り立っているのです。そういった心の仕組みを紐解いた教えに「唯識(ゆいしき)」というものがあります。 4コマのはじめにあった「心に区切りをつける」こと自体がそもそも難しく、なのに区切ろとするから葛藤が起こってしまうのです。もう仕方ない。消えなんかしないよ。だいたい、悪いとか良いとかじゃないんだよ。ただあるんだよ。その心が。という立場に立ったときに今までとはちがう考えや行動の可能性が生まれる…そのようなことを唯識は言っています。 大変興味深いことです。最近こんなことを考えていました 投稿者: 遠藤優子 尼僧、研修講師(論理学、パソコン)、禅メソッドアカデミー クリエイティブディレクター 遠藤優子 のすべての投稿を表示